はじめに

 倉敷市児島は岡山県の南部、倉敷市の南端に位置しており「繊維のまち」として親しまれている。繊維産業が盛んな地であり、繊維産業に関する会社や観光資源も多く存在している。鷲羽山、下津井、瀬戸大橋、旧野﨑家住宅、児島ジーンズストリート、熊野神社など観光資源も多くある地域で、県内、国内外問わず観光客が訪れている。倉敷市児島は1948年に倉敷市に合併されるまでは児島市として独立していた。倉敷市は倉敷エリア、水島エリア、児島エリア、玉島エリア、船穂エリア、真備エリアに分かれており、児島エリアは旧児島市に区分されている。以下、児島は児島エリアを示す。
 児島は全国的に知名度のあるジーンズ、学生服、倉敷帆布、真田紐など歴史ある特産品があり、児島発祥で歴史が長い伝統産業が多く継承されている。自然にも恵まれた地であり、鷲羽山から見られる瀬戸内海や島々の景色は全国に 64 ヵ所ある「日本の夕陽百選」に選ばれ、観光資源としての大きな役割を果たしている。旧観光資源台帳における「瀬戸内海の多島景観」に倉敷市は含まれており、日本を代表し世界にも誇れる最高の資源ランク、S(特 A 級資源)に選ばれている。岡山県の 7 つの日本遺産認定ストーリーのうち、「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」「一輪の綿花から始まる倉敷物語~和と洋が織りなす繊維のまち~」の 2 つは児島の繊維産業、観光資源に関連するものである。
 本科では学生服の大手メーカー、明石被服興業株式会社やジーンズの洗い加工、染色を行う豊和株式会社の工場見学に行った。学生服やジーンズの生産過程などについて学び、児島の繊維産業についてもっと知りたいと思うようになった。そして繊維産業や観光資源を通じて多くの人に児島について知ってもらう、興味・関心を持ってもらいたいと考えた。大学ではファッション、デザイン・アート、情報、ビジネス、地域経済等について学んだ。本科の卒業研究では著者の地元にある倉敷帆布、熊野神社についての Google サイトやリーフレットを作り、Google サイトで動画配信を行った。
 動画は、動きがあるためその場の空間や特徴を掴みやすく、現地の情報を提供しやすい。Web サイトは文章で史や特徴の詳細を説明できるため、動画よりも知識を深めることができる。実際何かを調べる際には Web サイトを用いる人が多いと考えられ、情報取得には欠かせないものである。地元だけでなく、児島全域にわたっての情報発信を行っていきたいと考え、専攻科の特別研究では近年主要な情報発信ツールとなっている YouTube で動画発行を行った。また、Google サイトでは大変簡単にサイトを作成できるが、多機能な CMS(コンテンツマネジメントシステム)でシェア No.1 の WordPress サイトを無料で構築できるWordPress.com(文献 5 参照)を用いて児島の主要な繊維産業や観光資源の広報活動に取り組んだ。
 本研究では児島の魅力を YouTube と Web サイトを用いて発信することで観光客や住民を増やすための試みについて記述する。第2章では倉敷市児島の歴史や人口推移を示し、どのような繊維産業や観光資源があるかを記述する。第 3 章では著者が制作した YouTube チャンネル「白、青、緑豊かな児島地区」(文献 6 参照)と WordPress サイト「繊維のまち、児島」(文献 7 参照)を用いた広報活動による地域活性化の取り組みとインタビュー調査(しもついシービレッジ株式会社、旧野﨑家住宅)について記述する。第 4 章ではまとめについて述べる。

児島の歴史と人口推移

 児島は日本最古の典籍「古事記」の国生みの神話に、9 番目にできた島として名前が記載されている。大八島(淡路島・四国・隠岐島・九州・壱岐島・対馬・佐渡島・本州)の後に吉備児島が生まれたとされている。獣骨が多く引き上げられたことより、ナウマン象やシカが生息したと推測されている。鷲羽山では昭和期に発掘調査も行われ、縄文時代や石器時代、弥生土器などの古代の道具や土器も発掘、採集された。上記のことより児島は歴史が古く、古代より人間や動物が生存、生活していたことは分かったが、繊維産業が盛んであったことはこの時代からは読み取れない。児島の繊維産業発展の背景と現状に至るまでを以下、述べていく。
 児島が「繊維のまち」と呼ばれるきっかけとなった背景には、江戸時代の干拓事業がある。干拓地は米の栽培には向かなかったため児島では代わりに塩分に強い綿花の栽培を行った。そしてその綿花を江戸時代の輸送船であった北前船に送り荷として積み、全国へと出荷していった。北前船の寄港地の 1 つに下津井があったことや、由加山の瑜伽大権現、四国の金刀毘羅宮での両参りの影響で児島は賑わい、昭和期にはミシンの音が響き渡り多くの女性が職を求め児島に訪れていた。児島は繊維産業を軸に江戸時代~昭和期にかけて栄えていた。
 北前船は明治以降の鉄道技術の発展により姿を消したが、1910 年に下津井軽便鉄道株式会社が誕生した。以降、路線を伸ばし続け茶屋町~下津井まで開業され、多くの人が利用していた。下津井電鉄は 1991 年に全線撤廃、廃線され、(文献 12 参照)この影響により下津井へ訪れる交通手段はバスか自家用車、自転車になった。下津井の人口は次第に減少していき、空き家問題等が出てきた。そして合成繊維の導入やファストファッションの影響といった時代やファッションに対する価値観の変化により、児島の繊維産業は全盛期に比べると衰退の傾向がある。女性の集団就職の影響でかつては大変な賑わいを見せていた児島味野商店街も次第にシャッター通り化していった。(猪木正実、2013、pp.122-128) 1967 年~2021年までの過去 54 年間にあたる児島の人口推移を図 1 のグラフで示す。倉敷市公式ホームページの「地区別人口の推移」では 1967 年以降の児島の人口データはあったが、それ以前のデータは見られなかったため、過去 54 年間の人口推移を示した。
 人口減少が顕著ではあるが、児島のジーンズや倉敷帆布、畳縁は手作業で製作する高付加価値のものも多くあり、国内外問わずに買い求める人も少なくはない。ジーンズのブランド、そして国内外に誇れる繊維産業があり、まさに「繊維のまち」の名にふさわしい地である。TV などのメディアにも児島の繊維産業について取り上げられることもあり、県内外問わず、児島といえば繊維産業(主にデニム、ジーンズ)と思い浮かべる人も少なくないのではないかと考える。
 繊維産業だけでなく、前章で述べた通り国内外に誇れる歴史的、文化的価値がある観光資源も多くある。下津井電鉄の路線の一部は「風の道」と呼ばれる歩行者、自動車専用道となった。この道はサイクリング、散歩コースとして観光資源の 1 つになっている。児島は今現在も受け継がれている繊維産業や過去の人々の営みを物語る、観光資源が多く残っている。

日本遺産と児島地区

日本遺産
 児島には全国に誇れる繊維産業、観光資源がある。このことは文化庁の政策である日本遺産からも読み取れる。日本遺産は各地にある遺跡を「面」としてとらえ発信する、活用に重点を置いた取り組みである。日本遺産の認定申請の条件の 1 つに、国が指定・選定した文化財を 1 つ以上は含めることが挙げられている。つまり日本遺産は、既存の文化財等に関わる背景などの発信を行い、活性化を図るために誕生したものである。
 日本遺産は 2015 年~2022 年 6 月 22 日現在では全国で 104 件の認定ストーリーがある。図 2 は、日本遺産の認定ストーリー数を都道府県別で分類したものである。岡山県、岡山県が含まれる認定ストーリー件数は 7 件と、全国で見ても多く中四国地方ではトップクラスの認定数である。7 件のうちの 2 件「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」「一輪の綿花から始まる倉敷物語~和と洋が織りなす繊維のまち~」は、児島の繊維産業の発展に深く関わるものであり、歴史的価値の大
きいストーリーであることが読み取れる。
 上記で述べたように日本遺産は各地の遺跡を活用、発信することが目的であるため、広報活動は積極的に行われている。著名人に「日本遺産大使」への就任を促しており今後も日本遺産の取り組みや認知度は広がっていき日本に浸透していくと考えられる。倉敷市も積極的に日本遺産の情報発信を行っている。著者も児島には日本遺産に認定されたストーリーがあることをさらに発信していくべきだと考え、本研究で広報活動を行った。

産業観光・繊維産業

 児島の繊維産業に興味、関心を持ってもらい、人を呼び寄せるためにも観光に力を入れる必要があると考える。近年、観光の一環として産業観光への取り組みが推奨されている。『「産業観光」とは歴史的文化的価値のある産業文化財(古い機械器具、工場遺構等のいわゆる産業遺産)、生産現場(工場、工房、農・漁場等)、産業製品を観光対象(資源)として人的交流を促進する観光活動をいう。』が産業観光の定義だと須田寛は述べている。近年の観光は見て楽しむ、体験して学ぶなどと「体験」や「学習」への関心が高くなっており、産業観光はこれらのニーズに応えている。
 児島の産業観光の例としてベティスミスジーンズミュージアム&ヴィレッジでのジーンズ作り体験や製品購入、児島学生服資料館での学生服着用体験、旧野﨑家住宅での塩づくり体験が挙げられる。これらは産業観光の特徴の一種である日常では体験できないもの、収益性のあるものである。(児島学生服資料館、旧野﨑家住宅の体験は無料だが、児島学生服資料館ではその場で学生服や児島の特産品の購入ができる販売所がある。旧野﨑家住宅は入館料がかかるため収益性はあると言えるのではないかと考える。さらに児島ジーンズストリートは観光地であり、ジーンズなどを取り扱う販売所でもある。児島の繊維産業の理解やイメージを定着させるために上記の取り組みは大きな役割を果たしていると考えられる。一方で産業観光には様々な課題があり、情報発信も含まれていた。児島の繊維産業の知識、理解を深めるためにも産業観光は重要な活動であると考えられる。課題解決のためには産業観光についての正しい知識を身に着けること、地域住民や教育機関との協力が重要である。産業観光への理解、地域の人や機関との良好な関係を築くことで児島の繊維産業を中心とした地域活性化にも繋がると考える。